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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)12982号 判決

原告

金宮こと金東勲

ほか一名

被告

高島嘉之

主文

一  被告は、原告金東勲に対し、金一一〇万円及びこれに対する平成八年五月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告富士火災海上保険株式会社に対し、金一三二〇万六〇九九円及び内金一二九六万一〇九九円に対する平成八年六月六日から、内金二四万五〇〇〇円に対する平成一〇年一月一八日から、右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告金東勲と被告との間で生じた分はこれを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告金東勲の負担とし、原告富士火災海上保険株式会社と被告との間で生じた分についてはこれを一〇分し、その七を被告の負担とし、その余を原告富士火災海上保険株式会社の負担とする。

五  この判決は、第一項及び第二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告は、原告金東勲に対し、金三九七万八一三〇円及びこれに対する平成六年七月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告富士火災海上保険株式会社に対し、金一九〇一万二八七一円及びこれに対する平成八年六月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告富士火災海上保険株式会社に対し、金二八万円及びこれに対する平成一〇年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告金東勲(以下「原告金」という。)が所有し、運転する普通乗用自動車と、被告が所有し運転する自動二輪車が交差点内で衝突し、それぞれの車両が破損し、被告運転の自動二輪車の同乗者が死亡した事故につき、被告に対し、(一)原告金は、被告において、交差点の信号表示が青色であったことの客観的真実と異なる事実を前提として右事故の示談交渉がなされていることを知りながら、それをただすことなく放置したことにより、同原告が財産上及び精神上の損害を被ったとして、民法七〇九条に基づき損害賠償を、(二)原告車両の任意保険会社である原告富士火災海上保険株式会社(以下「原告富士火災」という。)は、本件事故の責任はすべて被告にあるとし、(1)原告金との間で締結した保険契約に基づき、死亡した同乗者の相続人と示談契約を締結して保険金を支払ったことによって、原告金が被告に対して有する求償権を商法六六二条の保険代位により取得したとして、支払保険金の支払いを、(2)原告金と被告が右被告運転の車両の物的損害についての示談契約を締結し、原告富士火災が原告金との間の保険契約に基づき被告に保険金を支払ったが、右示談契約は錯誤により無効であるとして、民法七〇三条に基づき不当利得の返還をそれぞれ請求している事案である。

一  争いのない事実等(証拠により認定する場合には証拠を示す。)

1  保険契約の締結

原告富士火災は、平成五年七月一五日、原告金との間に自家用自動車総合保険契約(証券番号一一〇―五二四五七―四、以下「本件保険契約」という。)を締結した(甲三二)。

2  本件事故の発生

(一) 発生日時 平成六年七月一二日午後一一時一五分ころ

(二) 発生場所 東大阪市高井田中五丁目六八番先路上(以下、「本件事故現場」という。)

(三) 加害車両 原告金が運転する普通乗用自動車(大阪七九ま四四三四号)(以下「原告車」という。)

(四) 被害車両 被告が運転する自動二輪車(一なにわこ一八〇一号)(以下「被告車」という。)

(五) 事故態様 本件事故現場の交差点(以下、「本件交差点」という。)を右折中の原告車と、対向直進中の被告車が衝突した。

3  本件事故により、被告車の後部座席に同乗中の亡下川和美(以下「亡和美」という。)は、脳挫傷等の傷害を負い、右治療のために入院中の平成七年一一月一四日、死亡した。

4  下川美智子(以下「美智子」という。)は、亡和美の母であり、亡和美の唯一の相続人である(弁論の全趣旨)。

二  争点

1  本件事故態様・過失割合

(原告らの主張)

原告金は、対面信号が青色で本件交差点内に進入し、右折のため、交差点中央付近で一旦停止し、その後対面信号が右折青矢印になった時点で原告金が右折を開始したところ、被告が対面信号が赤色であるのを無視して本件交差点に進入してきたため、本件事故が発生した。以上のとおり、本件事故は、被告の一方的過失によるものであって、原告金に過失はない。

(被告の主張)

本件事故当時、本件交差点の信号表示は、黄色もしくは全赤であったものであり、原告金が無過失であるとはいえない。

また、仮に被告の認識した信号が、本件交差点より一つ西側の交差点の信号であったとしても、原告金が無過失であったとはいえない。すなわち、原告金は、発進時対面信号を確認していない上に、対向直進車の動静を注意していない。また、原告金は飲酒運転をしており、その影響による注意義務の散漫が本件事故の発生原因となっている。

2  被告の原告金に対する不法行為

(原告金の主張)

交通事故の当事者は、当事者間においても、一方当事者の車両に同乗していた被害者の家族に対しても、また、加入する保険会社に対しても、事故態様を含めた交通事故に関する客観的事実については、誠実に報告した上で、示談交渉を行うべき注意義務があり、特に、事故態様についての報告は、事故当事者双方の過失責任の認定に不可欠な要素であり、賠償交渉を担当する任意保険会社への報告は極めて重要である。

そして、被告は、自ら現認した対面信号が黄色であったことを事故直後より認識しており、約二か月後の平成六年八月三日に実施された実況見分においては、自らが現認した対面信号が、本件交差点より一つ西側の対面信号であったことを自認しているところ、右実況見分時においては本件事故現場において、警察官から信号周期を確認させられた上、これに引き続く同日の取調べによって、被告は、本件交差点の対面信号が赤色、少なくとも黄色であったことを認識していたにもかかわらず、このことを一切保険会社に報告せず、しかも、平成六年一二月八日には、物損事故についての示談契約を締結し、その際、右示談契約においては、本件事故当時の対面信号が青色であったとの客観的事実に反する事実が前提となっていることを知りながら保険金を受領している。

さらに、被告は、平成八年四月には、本件事故当時の対面信号が赤色であったことを自ら認めたことにより、本件事故につき、被告を罰金四〇万円に処する略式命令を受け、正式裁判の請求をすることなく右罰金四〇万円を支払っており、右時点では亡和美の人身事故の示談交渉が継続中であったにもかかわらず、右略式命令の内容について、任意保険会社及び原告金に対し、何らの連絡もしなかった。

被告が、任意保険会社を含む本件事故関係者に対して、事故態様を含む本件事故に関する客観的事実を誠実に報告した上で、示談交渉に望んでいたのであれば、本件事故が被告の一方的過失によって生じたものであることが客観的に判明していたことに鑑みると、被告の前記無責任な不作為を含む所為は、単に不誠実で、道義的に非難される所為であるというのにとどまらず、本件示談交渉において積極的に虚偽の事実を報告したと同視し得るものであって、民法七〇九条の不法行為に該当するものというべく、被告は、右虚偽の報告により原告の被った後記損害を賠償すべき責任がある。

(被告の主張)

被告自身も本件事故により受傷し、全身打撲で入院加療を受けており、信号関係については断定的に供述できるほど明瞭な記憶がなかった上、本件事故の示談交渉については、被告の父親を通じ、父親が加入している全日本自治体労働者共済組合(以下「自治労共済」という。)に任せており、交渉には関与していない。本件交渉経過からすれば、被告が原告主張のような金銭的賠償まで負担する義務が発生する事案ではない。

3  原告金の損害

(原告金の主張)

原告金は、被告の前記不法行為により、亡和美に関する関係で、本件事故につきより重い責任を負うべき加害者として行動せざるを得ず、左記のような財産的、精神的損害を被った。

(一) 交通費 二〇万四〇〇〇円

原告金は、加害者として、本件事故により重傷を負い植物状態となった亡和美を病院に合計一〇二回以上見舞い、その際には原告金の妻又は母が必ず同行した。原告金はそのため交通費として片道五〇〇円、合計二〇万四〇〇〇円を支払った。

(計算式)

500×2×2×102=204,000

(二) 通信費 二万四〇〇〇円

(三) 休業損害 九五万〇一三〇円

原告は、本件事故当時、縫製業を営んでおり、年収三四〇万円(日額九三一五円)の収入があったところ、亡和美の見舞いの当日は、就労が不可能であった。よって、前記見舞いの日数一〇二日間の休業損害を計算すると次の計算式のとおり九五万〇一三〇円となる。

(計算式)

9,135×102=950,130

(四) 慰謝料 二五〇万円

(五) 弁護士費用 三〇万円

4  保険代位

(一) 示談契約の締結

亡和美は、本件事故により死亡し、原告金は、平成八年五月一二日、亡和美の相続人である美智子との間で、亡和美の死亡により被った損害合計六〇五一万七七二〇円について、既払額(大阪大学医学部付属病院及び健康保険組合に対する支払六九五万六一九〇円及び美智子に対する支払四〇九万三四八三円、合計一一〇四万九六七三円)を除き、金四九四六万八〇四七円を支払うとの示談契約を締結した(以下「本件示談契約(一)」という。)。

(二) 保険金の支払い

原告富士火災は、本件保険契約及び本件示談契約(一)に基づき、美智子に対し、別紙のとおり、合計六〇五一万七七二〇円の保険金を支払った(うち治療費六二九万〇二八九円は大阪大学付属病院に、治療費六六万五九〇一円は健康保険組合に直接支払った。)。

(三) 自賠責保険からの回収

原告富士火災は、(二)の内金四一五〇万四八四九円を自賠責保険から回収し、残額は、一九〇一万二八七一円である。

(四) 前記主張のとおり、本件事故は、もっぱら被告の過失によって発生したものであるから、原告富士火災は、商法六六二条の保険代位の規定によって、原告金が被告に対して有する求償権を取得したので、被告に対し、右一九〇一万二八七一円の支払いを請求する。

5  不当利得

(一) 示談契約の締結

原告金と、被告は、平成六年一二月二八日、本件事故により被告に生じた物的損害について示談契約を締結し(以下「本件示談契約(二)」という。)、原告富士火災は、本件示談契約(二)及び原告金との本件保険契約に基づき、被告に対し、金二八万円を支払った。

(二) 示談契約の無効

本件示談契約(二)は本件事故当時の信号表示が双方とも青色であることを前提としたものであるところ、原告金の主張のとおり、本件事故当時の信号表示は原告金が青色矢印であったのに対し、被告の対面信号は赤色であったのであるから、本件示談契約(二)は、前提となる対面信号表示という重大な要素について錯誤があり、無効である。

したがって、被告が受領した金二八万円は、法律上の原因がないから、不当利得である。

第三当裁判所の判断

一  争点1(事故態様・過失割合)について

1  前記争いのない事実等、証拠(甲一ないし三、一一、一三ないし一五、一七ないし二〇、二二、二三〔一部〕、原告金本人〔後記認定に沿わない部分を除く〕、被告本人〔後記信用しない部分を除く〕)及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

(一) 本件事故現場の概況

(1) 本件事故現場の概況は、別紙交通事故現場の概況(三)現場見取図(以下、「別紙図面」という。)のとおりである。現場は、東西にのびる歩車道の区別があり、中央分離帯のある片側三車線(交差点付近は右折レーンを含め四車線となっており、歩道部分を除く幅員約一三・四メートル)の道路(以下「東西道路」という。)とこれとほぼ直角に交わる南北にのびる歩車道の区別のある道路(以下、「南北道路」という。)とによって形成されている、信号機による交通整理の行われている交差点(以下「本件交差点」という。)である。なお、東西道路の本件交差点の東側は、若干東北方向に曲がっており、中央分離帯上にピア(高架を支える柱)があるため、本件交差点中央付近から東側の見通しは余り良くなかった。

(2) 本件交差点に設置された信号の周期は一周期が一六〇秒であり、本件事故当時、東西道路の信号の周期は青八六秒、黄色三秒、赤色及び右折の青矢印一〇秒、全赤三秒、赤五八秒であり、本件交差点の一つ西側の交差点(東大阪市高井田中五丁目六七番地の「高井田本通六丁目交差点」、以下「西側交差点」という。)の西行きの信号が黄色点灯するのは、本件交差点の西行きの信号が黄色点灯した二秒後であった。

(二) 本件事故の状況

(1) 原告金は、東西道路東行きの一番南側の車線(右折レーン)を進行して、本件交差点付近に至り、本件交差点の対面信号が青色であることを確認して本件交差点に進入し、別紙図面の〈3〉の地点で直進車待ちのために一時停止した。原告金は、対向右折車二、三台が〈A〉の地点におり、対向車線の見通しが悪かったことから、少し前進し、〈4〉の地点に停止し、対向直進車が通り過ぎるのを待った。その後、原告金は、東西道路西行きの第二車線(南側歩道から二番目の車線)を走行する対向直進車が通過していったのを確認し、かつ、北への対向右折車両が動くか動かないかの状態の時に、時速約四キロメートルから五キロメートルで右折を開始したところ、〈5〉の地点で、原告車左前部と被告車とが衝突した。なお、原告金は、原告車を運転して本件交差点に至る前、飲酒しており、本件事故直後、呼気一リットル中、〇・二ミリグラムのアルコールが検出されている。

一方、被告は、東西道路西行きの第三車線(南側歩道から三番目の車線)を時速約五〇キロメートルから六〇キロメートルの速度で走行して、本件交差点付近に至り、本件交差点の停止線の約二三・三メートル手前の地点で西側交差点の信号表示を確認したところ、黄色であった。被告は、西側交差点の信号を本件交差点の信号と勘違いして、本件交差点の対面信号がすでに赤色に変わっているにもかかわらず、漫然と本件交差点にそのままの速度で進入したところ、折から右折してきた原告車と、別紙図面の〈×〉付近で衝突した。

(2) これに対し、被告は、被告が確認した信号機は、本件交差点の信号機であり、被告が本件交差点に進入した時点の対面信号の表示は黄色もしくは全赤であったと主張し、その根拠として、(1)証拠(甲一一、二三)によれば、本件事故当時の本件交差点の信号は全赤であったこと、(2)甲一五(被告が立会して作成された実況見分調書)中の被告指示説明部分は、警察官の指示に基づき、いわば警察官にいわれるままに作成されたものであるから、信用することができず、また、本件交差点を東から北へと右折する車両がまだ停止していたか動いていなかった状況にあったこと等をあげているところ、被告本人もこれに沿う供述をするので、以下検討する。

まず、証拠(甲一一、二三)によれば、本件事故当時、本件交差点の南西角で本件交差点の西側横断歩道を横断するべく自転車にまたがり信号待ち中、本件事故を目撃した中川哲が、平成六年七月一八日に同人が立会して行われた実況見分又はそのころ行われた警察官による事情聴取において、本件事故当時の本件交差点の信号表示は東西南北とも赤色だったと思うと説明していることが認められ、右事実からすれば、本件交差点の東西道路の対面信号は少なくとも赤色であったことが認められる。しかし、中川哲の右説明は、青矢印を否定する趣旨とは解されないし、本件交差点の東西道路の対面信号の周期は、青色八六秒に続く黄色三秒の次は、赤色及び右折青矢印が一〇秒間あり、その後に三秒間の全赤となるのであり、本件事故は、原告車が青信号で本件交差点に進入して別紙図面〈3〉の地点で直進車待ちのために一時停止した後、西行きの直進車を原告金がやり過ごした直後で、かつ、北への対向右折車両も動くか動かないかの状態の時に発生したのであるから、本件交差点の東西道路の信号表示が全赤であったとはとうてい認めがたく、むしろ、本件事故当時の本件交差点の東西道路の信号は赤色及び右折青矢印であったと認めるのが相当である(したがって、甲二三記載中の「被告の本件事故当時の事故現場交差点の信号表示は全赤(三秒)の状態であった」との部分は誤りと認められる。)。

次に、甲一五の作成経緯について、被告本人は、警察官にいわれるままに〈1〉地点を指示し、見た信号についても警察官が西側信号といったため、そのように指示した旨供述しているが、〈1〉地点及び、被告が見たとする信号の特定について警察官が指示したかどうかはともかく、警察官が何らかの示唆をしたとしても被告が同意して調書を作成したといわざるを得ないし、警察官があえて被告の記憶に反する指示をしたことを裏付ける客観的な証拠も存在しない。また、被告本人の供述は、全体的に曖昧かつ不明確である上、甲一一の記載とも矛盾するなど不自然な点が多く、信用することができないのであって、被告の供述をもって、甲一五が被告の意に反して警察官の言いなりによって作成されたと認めることはできない。

また、北方向への右折車両がほとんど動いていなかったとする点については、本件事故は、本件交差点の東西道路の信号表示が右折青矢印になって間もない時点に発生したものであるから、北方向への右折車両がほとんど動いていなかったとしてもさほど不自然とはいえないから、なんら前記(1)の認定の妨げとなるものではない。

(3) 一方、原告金本人は、被告は東西道路西行きの右折レーンの方から突如第三車線の方に飛び出してきた旨を供述するが、甲一一によれば、中川哲は平成六年七月一八日の実況見分で、被告車が東西道路の第三車線を走行していた旨の指示説明を行っていることが認められること、原告金は、これまでの警察での取調べにおいてそのような供述をしたことはなく、原告本人尋問においてはじめてかかる供述をするに至ったこと等からすれば、右点に関する原告金の供述は採用することができない。

2  以上の認定説示によれば、本件事故は、被告が、進路遠方の西側交差点の信号表示に気を取られ、本件交差点の対面信号がすでに赤色を表示しているにもかかわらず、これに気づかないまま漫然と本件交差点に進入した過失によって発生したものであって、その責任の大半は被告にあるというべきであるが、原告金も、本件事故当時、呼気一リットル中、〇・二ミリグラムのアルコールを体内に保有したまま原告車を運転していたことや、本件事故当時別紙図面〈4〉の地点から右折を開始するに当たって、対面信号を十分確認していなかったことが窺われること(甲一八、原告金本人)等の事情をしんしゃくすれば、本件事故の過失割合は、被告九に対して、原告一とするのが相当である。

二  争点2(被告の不法行為の成否)について

1  前記一で認定の事実に、証拠(甲二、三、一五、一九、二二、二四ないし二六、二七の1ないし7、三〇の1、2、三一の1ないし4、三二、三三、原告金本人、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件示談交渉の経緯

(1) 本件事故によって、原告車及び被告車双方の物的損害、被告車後部に同乗していた亡和美についての人的損害が発生し、右各損害について、原告金の任意保険会社である原告富士火災と被告の父親が加入している自治労共済とが、示談契約についての窓口となり、示談交渉が始まったところ、本件示談交渉においては、原告金が、原告富士火災に対し、原告金は青信号で本件交差点に進入し、右折したところ被告車と衝突したとの事故報告をしたことから、本件事故当時における原告車、被告車双方の対面信号がいずれも青色であったという事実を前提として交渉が進行していった。

(2) そして、まず、原告車及び被告車双方の物的損害について、原告金と被告は、平成六年一二月二八日示談契約を締結した(「本件示談契約(二)」)。本件示談契約(二)においては、本件事故の過失割合につき、双方とも対面信号が青色ということが前提であったため、右折車たる原告車が八割に対し、被告車が二割とされており、被告は、本件示談契約(二)に基づき、平成七年一月一二日、原告富士火災から二八万円を受領した。

(3) 次に、亡和美の人的損害については、前述のとおり、原告車の過失割合が八割であることが前提とされていたことから、原告金の任意保険会社である、原告富士火災が、本件保険契約におけるPAP約款の示談代行条項に基づき、亡和美の母親美智子と示談交渉を進めたが、当初、亡和美の症状が固定していなかったため、原告富士火災は、暫定的に医療費、休業損害等を亡和美に支払っていた。しかし、平成七年一一月一四日、亡和美が死亡し、亡和美の死亡による損害が確定したのを受けて、原告らは、平成八年五月一二日、亡和美の相続人である美智子との間で示談契約を締結し(「本件示談契約(一)」)、原告富士火災は、本件示談契約(一)及び原告金との本件保険契約に基づき、平成八年六月五日、既払額を除く四九四六万八〇四七円を、美智子に支払った。

(二) 本件示談交渉における被告の所為

(1) 被告は、本件示談交渉を自治労共済にすべて任せていたところ、被告は、本件事故当時、本件交差点の停止線の約二三・三メートル手前の地点において、自らの対面信号について、本件交差点もしくは西側交差点の対面信号が、黄色であることを認識していたにもかかわらず、本件示談交渉を始めるに当たって、かかる事実を自治労共済及び交渉の相手方である原告金に対し、全く報告しなかった。

(2) 被告は、平成六年八月三日に行われた実況見分に立ち会い、本件交差点の停止線の約二三・三メートル手前の地点から、西側交差点の対面信号を見たとき、右信号の表示が黄色であった旨指示説明し、その際、警察官から、信号の周期を確認させられ、西側交差点の対面信号より、本件交差点の対面信号の方が先に黄色に変わることを認識し、同日の実況見分に引き続き行われた警察官による取調べにおいても、警察官から本件事故当時の本件交差点の対面信号が赤色であった旨を示唆されたことにより、被告は、本件事故当時における本件交差点の対面信号が赤色表示であったことを認識するに至ったが、右各事実について、原告金及び自治労共済に対しなんら報告しなかった。

(3) そして、前述のとおり、被告は、平成六年一二月二八日、原告金と本件示談契約(二)を締結し、示談契約書(甲二六)に署名した。被告は、本件示談契約(二)の締結前から、父親を介して、自治労共済から、本件事故の客観的事故態様を基に原告金が八割に対して、被告二割という過失割合で示談交渉が進行している旨の報告を受けていたものであり、かつ、右示談契約書には、原告金の過失割合八〇パーセントに対し、被告二〇パーセントの過失割合である旨が明記されていたことから、本件示談交渉が、客観的事実と反して、本件交差点の本件事故当時における対面信号表示が双方とも青色であったという事実を前提として行われていることを認識したにもかかわらず、本件事故当時自ら認識していた真実の対面信号表示につき、原告金及び自治労共済に対しなんら報告せず、平成七年一月一二日には、本件示談契約(二)に基づく示談金二八万円を受領した。

(4) さらに、被告は、平成八年四月五日に、大阪地方検察庁で検察官の取調べを受けたが、右取調べにおいて、本件事故当時における本件交差点の対面信号が赤色であったことを再度確認する旨の供述をするとともに、その旨を記載された検面調書に署名捺印し、同年四月二三日に、「被告が、本件交差点の対面信号が赤色であったにもかかわらず本件交差点に進入した」との公訴事実で略式起訴され、右公訴事実どおりの認定がなされた略式命令に対し、正式裁判を請求することなくこれを確定させ、同年四月二六日、右命令で言い渡された罰金四〇万円を支払った。しかして、右時点においては、亡和美の人的損害について、原告富士火災らと美智子との間の示談交渉が継続していたにもかかわらず、右示談交渉を一顧だにすることなく、自治労共済任せにし、人的損害についても物的損害と同様に双方の対面信号が青色との前提で示談交渉が進んでいることが容易に予測できたにもかかわらず、右略式命令の内容等につき、原告金及び自治労共済に対し、何らの報告もしなかったため、原告金は、前述のとおり、平成八年五月一二日、美智子との間で本件示談契約(一)を締結するに至った。

2  ところで、交通事故の示談交渉においては、当該交通事故の事故態様等の客観的事実は、交通事故当事者の過失の内容を正しく評価して、その過失割合を決定し、もって損害の公平な負担を図る上で、重要な事実であるから交通事故の当事者は、かかる事実については、事故の相手方もしくは自己が保険契約を締結している任意保険会社等に対し、自己の記憶に従って誠実に報告すべき義務があり、したがって、交通事故の当事者が、示談交渉の前に、単に事故状況を報告しなかったに過ぎない場合はともかく、自己の記憶に反し、かつ、客観的な事実に反することを知りながら、積極的に虚偽の事実を事故の相手方もしくは自己の任意保険会社等に申告したり、あるいは、示談交渉が自己の記憶及び客観的事実に反する事実を前提として進行し、かつ、かかる前提事実に基づき示談契約が締結されているのを知りながら、あえてこれを放置する場合には、具体的な状況如何によっては、かかる作為又は不作為が不法行為を構成するものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、前記1で認定したところによれば、被告は、遅くとも本件示談契約(二)が締結された時点で、本件示談交渉においては、本件事故当時における本件交差点の対面信号表示が原告車及び被告車ともに青色であったという自らの記憶にも客観的事実にも反する事実が前提となっており、亡和美との示談においても右同様の前提事実で示談交渉が進んでいくことを認識していたものと認められるから、右前提事実が客観的事実に反し、かつ、自己の記憶とも異なっている旨を原告金または自治労共済に申告すべき義務があったというべきところ、被告は、右義務に反し、あえてこれを放置したばかりでなく、さらに、その後、本件事故による刑事処分においても、本件示談交渉の前提事実と異なり、被告車の対面信号が赤色表示であった事実が認定され、かつ、亡和美の人的損害について示談交渉が進行中であるにもかかわらず、右事実をあえて申告せず、本件示談契約(一)の成立後まで放置していた等の事実が認められる本件においては、被告のかかる不作為は、不法行為を構成するものというべきである。

三  争点3(原告金の損害)

1  交通費 認められない。

証拠(甲二八、原告金本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告金が植物状態になった亡和美を少なくとも一〇二回以上見舞った事実が認められるところ、原告が亡和美を見舞いにいったのは、本件不法行為の結果ではなく、本件事故の結果であって、見舞いのための交通費は、本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない。のみならず、交通事故の被害者に対する、見舞いの義務なるものは、道義的にはともかく、法的にそのような義務は発生せず、見舞いに行くか行かないかは、もっぱら加害者の良心にゆだねられている性質のものであるから、かかる点からしても見舞いのための交通費を本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない(原告主張額二〇万四〇〇〇円)。

2  通信費 認められない。

証拠(甲二八)及び弁論の全趣旨によれば、原告金がお見舞いの時間等を美智子に連絡したり、病院関係者に病状を尋ねるために電話を利用した事実が認められるが、右電話代として、月々一五〇〇円を要したとの事実までは認められないし、前記1で述べたのと同様に、被告の不法行為と通信費用の支出との相当因果関係を認めることができない(原告主張額二万四〇〇〇円)。

3  休業損害 認められない。

前記1で述べたとおり、被告の不法行為と、見舞いのための通院については相当因果関係が認められないから、見舞いのための通院による休業損害は、本件不法行為と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

また、証拠(甲二九の1、2、原告金本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時、縫製業を営んでいたこと、平成五年度の年収が三二〇万五〇〇〇円であったこと、平成六年度の年収が三三七万一〇〇〇円であったことがそれぞれ認められ、右事実からすれば、本件事故後も収入の減少がなく、その点からも休業損害は認められない。

なお、原告金本人は、本件事故当時は、金融機関からの借入をおこして機械設備を導入し、売り上げを伸ばそうとしていた時期であったにもかかわらず、本件事故によりそれもできなくなった旨を述べているが、右供述を裏付ける客観的な証拠がないし、また、仮に右事実が認められたとしても、右事実によりどれほどの収入増がはかれたかどうかが明らかでない以上、休業による損害が生じたと認めることはできない(原告主張額九五万〇一三〇円)。

4  慰謝料 一〇〇万円

証拠(甲二八、原告金本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告金は、被告が本件事故の事故態様につき誠実な報告をしなかったために、本件事故の責任の大半が自己にあるという気持ちから精神的に追い込まれたこと、本件事故における原告金の過失を非難する原告金の妻との間で喧嘩が絶えず、一時は離婚の話も出たこと、右のような原告金ら夫婦の不仲等が原因で原告金の母貞子も寝込んでしまうようになったことが認められ、かかる事実に本件弁論に現われた一切の事情を併せ考慮すれば、原告金の慰謝料は一〇〇万円が相当であり、亡和美が死亡するという重大な結果が発生した本件事故のような事案においては、被告の本件不法行為によって原告金が良心の呵責を感じ、精神的苦痛を被ることは容易に予測可能であったと認められるから、右慰謝料は、被告の不法行為と相当因果関係のある損害と認められる(原告主張額二五〇万円)。

5  弁護士費用 一〇万円

本件の審理経過、認容額等に照らし、被告に負担させるべき弁護士費用としては、一〇万円が相当である(原告主張額三〇万円)。

6  遅延損害金

原告金は、本件事故日からの遅延損害金を請求しているところ、被告の不法行為は、本件事故時には成立していないから、本件事故日から遅延損害金を請求している原告の主張は失当であるが、ただ、被告の不法行為は、不作為によるものであり、事故に関する客観的事実についての申告は、これを怠ると直ちに不法行為が成立するわけではないから、不法行為の成立時は必ずしも明らかでないが、本件の具体的な示談交渉の経過に鑑みれば、遅くとも亡和美の人的損害についての示談契約(示談契約(一))の締結日である平成八年五月一二日には、被告の不法行為が成立しているというべきである。よって、原告金の遅延損害金の請求は、平成八年五月一二日から完済まで民事法定利率年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由がある。

四  争点4(保険代位)について

証拠(甲二四、二七の1ないし6、三〇の1、2、三三)及び弁論の全趣旨によれば、本件事故により、亡和美に、合計六〇五一万七七二〇円の損害が発生したこと、原告富士火災は、本件保険契約に基づき、右六〇五一万七七二〇円を、別紙のとおり、美智子、大阪大学医学部付属病院、健康保険組合に支払ったこと、原告富士火災は、自賠責保険から、別紙のとおり合計四一五〇万四八四九円を回収したことが認められる。

そして、本件事故による過失割合は、原告金が一割であるのに対して、被告が九割と見るのが相当であることは前記認定説示のとおりであるから、本件事故は、被告及び原告金の共同不法行為により発生したものであって、右賠償額の最終的な負担部分は、原告金が六〇五万一七七二円、被告が五四四六万五九四八円となり、自賠責保険からの回収金を控除すると、原告富士火災が保険代位により取得した原告金が被告に対して有する共同不法行為者間の負担部分に基づく求償債権のうち、被告に求償を求めることができる金額は、次の計算式のとおり一二九六万一〇九九円となる。

(計算式)

60,517,720×0.9-41,504,849=12,961,099

五  争点五(不当利得)について

1  本件示談契約(二)の無効

前記争いのない事実等に証拠(甲二五、二六、原告金本人、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件示談契約(二)は、本件事故当時における本件交差点の対面信号が、原告車及び被告車ともに青色であり、過失割合が原告金が八に対し、被告が二であるということが前提でなされた示談契約であり、原告富士火災は、被告に対し、被告の損害額の八割であり二八万円を支払ったと認められる。しかして、前記認定の通り、真実は本件事故当時における本件交差点の対面信号は、原告金が右折青矢印に対して、被告が赤であったことが認められるところ、交通事故の示談においては、事故態様が示談額を決める上で重要な要素となっていることは明らかであるから、事故態様の認識についてかかる錯誤がある本件示談契約(二)は、錯誤により無効というべきである。

ただし、交通事故の示談契約においては、事故態様に応じた適切な過失割合分について支払うというのが当事者の合理的意思であり、事故態様に錯誤があれば示談契約がすべて無効となると解するのは妥当ではなく、適切な過失相殺率を上回る部分についてのみ無効となると解すべきである。

そして、本件事故態様における適切な過失割合が、原告金一に対して被告九であることは前記認定のとおりであるから、原告富士火災が被告に対し、被告の損害額の一割である三万五〇〇〇円を支払うとの合意部分に限っては有効であり、その余の二四万五〇〇〇円を支払うとの合意部分が無効となる。

2  被告の不当利得

以上のように、本件示談契約(二)は、原告富士火災が被告に対し三万五〇〇〇円を支払うとの合意の限度で有効であり、その余は無効であるから、残額二四万五〇〇〇円を被告が法律上の原因なくして利得したことは明らかである。

六  結論

以上のとおり、原告金の請求は、被告に対して金一一〇万円及びこれに対する不法行為後の平成八年五月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、原告富士火災の請求は、被告に対して金一三二〇万六〇九九円及び内金一二九六万一〇九九円に対する保険金の支払いをした翌日である平成八年六月六日から、内金二四万五〇〇〇円に対する訴状送達日の翌日であることが記録上明らかな平成一〇年一月一八日から右各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、主文のとおり判決する。

(裁判官 三浦潤 齋藤清文 三村憲吾)

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